株式会社宮城建設 代表の言葉

父親への反発で、継ぐはずの無い会社を継いだのはお客様の言葉が、俺の心を動かしたから。

創業者の口癖

私は小さいころ、現場や作業場で働く父親の後姿を見て育ちました。
いつも、まめに動いて、働くことが大好きな父親でした。そんな父親を見て手伝いをさせられていた私は、当たり前のように木造の現場の中に溶け込んでいきま
した。今でも目を瞑ると、木造住宅の現場の木の匂いが蘇ってきます。休みの日は父の仕事を手伝い、唯一それが父親と私の思い出話です。

サラリーマンの家庭の様に、父親と遊んだ記憶がありません。
他の友達の話を聞くと羨ましいと思ったことも ありましたが一生懸命働く父親を誇らしく思い、私自身も楽しんで、まるでゲームをやっている様な感覚でした。

「狂いのない家を建てるには、木材の乾燥が大事。」ということをいつも口癖のように言っていました。

40年前は今みたいに乾燥機があるわけではないので、作業場に材木を建て掛けて材木を自然乾燥していました。

「こうしておくと20年30年経ってからでも、 狂いの少ない家になる」という父親の言葉が印象的で、それは、お客様の前でも誇らしげに語る父親の姿でもありました。

父親が以前建てたお客様に言われた、「本当に宮城さんで建てた家は何年経っても狂いがないわね~」というお客さまの褒め言葉が、今から思えばこの仕事に就く原点となっていたのです。

バブル弾けて独立の夢破れて、決めた道は!!

私は早く社会人として働きたくて、大学よりも建築の専門学校に行き、建築設計事務所に就職しました。

就職して間もなくしてバブル社会が始まりました。

しかしそんな時代でも当時の設計事務所の給料というものは非常に安かったのです。

とにかく毎日が勉強させてもらってる、という徒弟制度みたいな考えが色濃く残っていたのです。私の5歳下の妹は、証券会社に入社して間もなくして大入り袋を貰ってきて、新人で私の倍以上の給料は貰っていたと思います。

その頃は私はまだ父親に反発していて、まさか父親の会社を継ぐなどとは思ってもいませんでした。


こで、最初にした仕事は防音工事の図面書きの仕事でした。それは一度覚えてしまえば、後はこなすだけの仕事。単調な仕事です。そして次に、ハウスメーカー
の下請けの仕事。プランはフリープランでしたが、基本的には決まりきったデザインや仕様のものを何も考えずに描いていくだけの内容のものでした。

経験を積むにしたがって自信も付いてきて、お客様から直接請ける仕事もやらせてもらえるようになり、独立できるくらいの実力になりかけた頃、独立への夢がふつふつと湧いてきたのでした。

でも基本は下請けの仕事が多い事務所で、お給料も安いし、子供も生まれそうだし、
事務所の所長に掛け合って

「これから、お金、掛るから給料あげてくれ~」
と言ったものの、聞き入れてもらえず。

「こんな貧乏事務所だから、そんなに上げられない」
と言われたのでした。

そうこうしているうちにバブルが弾けて、親会社の合併話や、倒産の危機話が横行し
始めました。

夢は破れ、設計事務所の独立の夢は捨てざる他ありませんでした。

それだったら、どうせ同じ苦労するし稼げる方がいいと思い、いずれは自分でやるということと、父親の誘いも重なり、宮城建設に入社することを決意しました。

それが28才の時でした。

あっ、思い出した、誇らしげな父親の笑顔!!

そこで最初に手掛けた仕事は、妻の友人に「父親の家を建替えたい」という話を持ちかけられたのが最初の仕事です。

今までの事務所での経験を生かし、直接施主と対話をして、一生懸命考えたプラン提案をすれば、大変気に入られて生き生きとしたお施主様の喜びの声を聴ける。

ますます、やる気が出てくる。

仕事を手掛ける大工さんも、遣り甲斐があると喜びの声を上げる。この頃は、手刻みで自分が必死で考えて描いた図面が大工さんの手によって目の前で実際の木材が刻まれていくことに喜びを感じていました。

そこで、思い出しました。

幼少期に見たお客様に褒められた時の誇らしげな父親の笑顔。これが、家づくりの原点のだ。ということを私は実感しました。お客様と職人さんと共に家づくりをしていくことが、皆の喜びになるのだという事を。

一生で一番高い買い物、人の住む家は、
心を込めて造らなければいけないものだという事。

会社分裂の危機 兄弟の宿命!

28歳の頃の私は子供も生まれ、一級建築士としてやる気満々でした。

妻や子供の為に頑張る気持ちが湧いてきて、毎日朝早くから夜遅くまで一生懸命、無我夢中で働きました。

このころは順風満帆の私でした。次第に、忙しくなり自分一人では仕事がこなせなくなっていったのです。当初は営業・設計・見積もり・現場管理・監督をすべて自分一人でこなしていました。

父親に相談し、「誰かいい監督いないかな~」と話をしたら、兄を呼び戻そうと言う話になったのです。

私の兄は横浜で土木の仕事で、道路関係の現場監督をしていたのです。私は横浜まで行き話をして、兄を呼び戻しました。

兄は一度、建築の専門学校に行きましたが、細かい仕事は性に合わないといって土木の方へ進んだ人間でしたので、呼び戻すまでは良かったのですが建築の仕事に合わず、知り合いの土木会社に出向させて頂くことになったのでした。

しかしそれも、一年間で会社に戻ってきて、最初の頃は仕事のやり方で喧嘩も絶えず、
幾度となく取っ組み合いになるのではないか、という事もありました。

もう二人の仲もそろそろ終わりだと思うこともありましたが、兄弟の仲は、時が解決してくれるようです。今は志を同じくして、共に働いております。

これが!!本当に俺のやりたい事なのか!

その頃の宮城建設の仕事は新建材とビニールクロスを使ったローコスト住宅や、高気密・高断熱住宅を主流で建てるようになっていました。

冬暖かく夏涼しい魔法瓶のような快適な家が喜ばれていました。

あるお宅の出来事で、ローコスト住宅のお客様で合板フローリングやビニールクロスで使われたお宅でした。その頃は当たり前かと思っていたのですが、今から思うと異常と思えるほど、傷に執着しているお客様でした。

完成の最後の引き渡しの前に必ず傷補修という作業があるのですが、自分で傷を直していたのです。

1軒の家で十数か所というのが普通と思っていたのがそのお宅は特に多くて、数100ケ所というとんでもない数だったのです。お施主様が傷を探していて、その探し方ときたら顔を5センチくらいに床や壁に近づけて目を皿のようにして探しているのです。

尋常ではありません。普通に見たら、分からないようなものまで探してきて指摘するわけです。まるで、傷探しのゲームをやっている感覚だったのではないでしょうか。

この出来事は、お施主様が悪いわけではないと思います。


会の風潮として、見えないほどのほんの少しのかすり傷(傷とはいえないかも)までも直してくれると思わせてしまっている。お金さえ払えば何でもしてくれる
という風潮がそうさせたと思っています。新建材、ビニールクロスで合板フローリングだから、この様なことにまで発展したと思いました。

この様な家づくりが、本当にお施主様の為になっているのか、私達の本当の家造りなのかと疑問が沸き始めた頃です。

これ以上、家族が悲しむような事はしたくない!!

そんなときに社会問題となったのが新築病です。つまりシックハウスのことです。

とある幼稚園で起きた出来事です。沢山の園児さんたちがいきなり、「目が痛い」「鼻が痛い」「頭が痛い」と訴えかけたのです。

木造でその梁材の中に含まれている接着剤が放散して部屋中に蔓延していたのでした。

これをきっかけに国の方ではシックハウス法という法律を作りました。住宅でも24時間換気にしなさい。国の定める基準値以下の化学部質の濃度にしなさい。などといったものです。

プロである私たちは法律が出来るまで、何も知りませんでした。今まで建てさせてもらったお施主様に申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました。私の勉強不足の為にとんでもない迷惑をかけてしまった。

メーカーの薦める材料を鵜呑みにして使用してしまったから、こんなことになったのだ。
勉強不足の為にこんなことになってしまったのだと。

社会全体が、安くて簡単で早くできるから良いことだという風潮になっていたのだと思います。幸い私どものお施主様はこの様なことを訴える方はおられなかったので安堵いたしました。

そうした事件があってから、シックハウスのことや自然素材や無垢材のことを段々と勉強をするようになり、自然素材や無垢材のことを意識的に取り入れるようになっていきました。

そして、「子供達や後の社員さんたちに誇れるような家づくりをしていく。」という事を決心いたしました。

身体で本物の良さを知っている職人やプロは迷わず自然素材を選びます

今は当たり前のように無垢材や自然素材を勧めて通るようになってきていますが、初めの頃はお客様に説明して理解をして貰うのは一苦労でした。

今でもそうですが、ハウスメーカーが合板フローリングとビニールクロスが普通ですので、それが当たり前の世の中になってしまっているのです。

当時は無垢の事例が少なかったので、無垢の赤松の床板を一枚担いで、まだ基礎も
出来ていない分譲地に持っていき、見学に来たお客様に床板の切り口を見せて説明をしていました。

「こんな無垢の床板になるのですよ〜分厚いでしょう。無垢は暖かく、人に優しいですよ〜」という具合に。

何回も何回も説明しました。それでもやはり経験のないことは想像出来ないので、実際に住んでいるお宅に行って触って体感してみないと理解することがなかなか難しいのです。

今の私とか、大工さんとか、本物を知っている人なら、自分の家を造る時は必ず無垢の床板や自然素材の壁にすると思います。

しかし中にはそれを知っているのに、お客様に薦めない人がいます。それは何故かというと、自分の仕事となると無垢材や自然素材は反ったり、隙間が空いたりと面倒で、また値段も高く、クレームになり易いからです。

初めに素材の特性を説明して理解してもらったらいいのでしょうけれど、その説明も面倒なのです。

だからあえて、その話を出すこともしようとしない人がいます。

話をしても高いし、手入れが大変だからやめた方がいい、などと言ってやめさせようとします。(農薬を使っている野菜を知っている人が、その野菜を食べないで、無農薬野菜を食べているのと似ています)

涙が止まらない程、魂が震えた出来事!

そうして自然素材を使うようになって、私が継いで社長になったすぐの頃の出来事です。

このお施主様は公務員の先生で比較的予算の余裕のある方で、良い無垢材料を使い、自然素材を多用したお家を建てさせていただきました。

引っ越しをされて間もなくしてお伺いした時、帰り際に
「本当にいい家を建てていただいてありがとうございました。」
と言われたのです。

その時の思いは今でも忘れません。帰りの車の中で、嬉し涙があふれ出しました。

今までの沢山の苦労が一気に吹っ飛びました。
「建築の仕事は苦労することが多いけど、やっていてよかったな~」
と思った瞬間でした。

無垢や自然素材を使用したおかげだと思いました。

私は自分に誓いました!!

私はこのお客様のように、私を信じて任せてくれる一人のお客様がとても大事なのです。お客様の顔が見える、声が聞けることが非常に大事なのです。

私はいつも自分の息子や娘が家を建てるのと同じように考えて、行動しています。

お客様にも同じように助言をいたします。
私は、私や私の会社を信頼してくれて、一生に一度の大事な家づくりを任せていただけるお客様が、非常に大切だと思います。

私は宣言します。
特に小さいお子様の手足の触れる場所は自然素材を使うべきなのです。
そして、家の中の空気がきれいになる素材を使用しておくべきなのです。
そして、健康で笑顔あふれる家づくりを実感していかなければならないのです。

株式会社 宮城建設
「全責任は私が持ちます」
一級建築士 宮城健志

 

追伸

自然素材は人間にとって必要不可欠です。

今や時代は家の省エネ化に向かって動いています。
長期優良住宅やゼロエネルギー住宅など、一次エネルギー
をなるだけ使わない方向に向かっています。
2020年にはその様な住宅でないと建てられなくなります。

高気密、高断熱が進む中で、ますます自然素材の需要は
高まっていくと思います。

何故かというと、人間は自然との共生が必要なわけです。
特に夏と冬の季節ではその様な傾向があると思われます。

日本では色々なアレルギーが増えていて、この世から
完全には無くなりません、完全に治すこともできません。

一昔前より建築の技術は目を見張るほど発展していますが、
人間に本当に必要なものは自然素材や体に害の無いものです、
科学物質ではありません。

ですから私は、高品質で健康的で丈夫な家を建てたいのです。